初めての方に対してすべきことと言えばなにか。
そう、自己紹介ですね。
そう言えばまだちゃんと自己紹介をしていませんでしたね。
はじめましてこんにちは。藤山和と申します。最後まで読んでいただけると嬉しいです。
いやそんなことくらい、初投稿の時にしておけよと思われることでしょう。
私もそう思います。
ただ、私は自己紹介というものが嫌いです。
自己紹介に嫌いもなにもないだろ、なに言ってんだこいつ、そう思われることでしょう。
私もそう思います。
ただ、私は自己紹介が嫌いすぎるあまり、高校への入学時にクラスでの自己紹介で「よろしくしないでください」と言い、数秒の沈黙の後に「……は?」と言われた経験があります。
だからなんだよ。
ということで今回は、自己紹介とはなにか、どこがどう嫌いかについて話していきたいと思います。
ちなみにこちらが初投稿の記事です。
読まなくても問題はないです。
自己紹介とはどんなもの
人は”社会”の中で日々を暮らしています。
社会とは人の集合体です。
人はひとりでは生きられません。人は群れを成す生き物です。
そのため、人が人として生きていこうとすると、必ず社会という名の”集団”に属することになります。
集団では、人と人はお互いに干渉し合って生きています。
直接的であれ間接的であれ、なにかしらの接触は避けられません。
つまり、人と人の間にはコミュニケーションが必要不可欠なのです。
コミュニケーションは自己紹介から始まります。
人は”知らない”ということに恐怖を覚えるからです。
どこの誰とも知れぬ何者かが、いつ自分に害をなすのかわからないということが恐ろしいのです。
そこで、争いを避けるために、人は自分がどんな性質であるかを他者に説明する必要があります。
それが「自己紹介」というものです。
まずはお互いを知るところから、人々の交流が生まれるのです。
このように、人が人として最低限文化的な生活を送るためには、自己紹介が欠かせないのです。
ならば自己紹介をせずに生きていられるか。できなくはないです。
その場合どうなるか。私のようになります。
社会性ゼロの引きこもりニートです。
きっとそうはなりたくないことでしょう。というかならないでほしい。
ではそうならないために、もう少し自己紹介について考えていきましょう。
そもそも自分を知らない
他者へ物事を紹介するとなれば、当然自分はそれについて詳しい必要があります。
自己紹介をするとなれば、自分について詳しくあるという前提があります。
しかし私は思うのです。自分のことを一体どれだけ理解できているか。完全に自分自身を理解できている人など存在するのか。
自分がいつどこで生まれ、これまでなにをしてきたか。
なにが好きでなにが嫌いか。
なにを見てなにを聞いてなにを感じるか。
なにをしたくてなにをしたくないか。
なにを知っていてなにを知らないか。
なにに失敗してなにに成功したか。
他人にどう評価されているか、自分をどう評価しているか。
その全てを把握できているか。質問されて即答できるか。
おそらく、私はなにひとつとしてまともに答えられないと思います。
いくつか情報を持っているというだけでは、知っているとは言い難いのです。
自己紹介をするには、まず自分をよく知る必要があるのです。
自己分析に伴う自己嫌悪
なぜ自分のことなのに詳しく知らないか。
知ろうとしていないからです。
なぜ知ろうとしていないか。
自分が嫌いだからです。
私は自分のことに興味がないのです。関心を持てないのです。
人は嫌いなものを無理に見ようとせず、知ろうとしません。
そしてそれは、自分自身にも当てはまるということです。
私は私が嫌いです。
嫌いなものを肯定はできません。
つまり私は自己肯定感が欠如しています。自分を否定して生きています。
知れば知るほど私は私が嫌いになります。分析すればするほど嫌な気持ちになります。
このように、私のような自己肯定感欠落人間が自己分析をすると自己嫌悪に陥ります。
進んで嫌な気持ちになりたい人などいないでしょう。私もそうです。
それゆえ、私は私を遠ざけて見ないようにしているのです。
これが、私が私を詳しく知らない理由です。
結論:なぜ自己紹介が嫌いか
なぜ自己紹介が嫌いか。
よく知らない嫌いなものを、他者へ紹介しなければならないからです。
自分が嫌いで、それゆえに自分を知らない。
自己肯定感がなく、自己評価が著しく低い。
そんなどうしようもない自分を、誰にも認識されたくないからです。
そのような、なんだかよくわからない気持ちの悪い評価の低いものを、他者へ紹介したいと思うでしょうか。私は嫌です。
紹介される側も、なんだかよくわからないナニカは嫌だと思います。こわいです。
自分の存在を許容できないあわれな人間の末路、それが私ということです。
あと単純に、人と話すことが嫌いという身も蓋もない思いもあります。
どうしようもない偏屈野郎ですね。
みなさまにおかれましては、どうかこのような救いようのない輩にはならぬよう、心穏やかに日々を過ごしていただきたく存じます。
ということで、これが私の”自己紹介が嫌いな理由”でした。
適応していこう
自己紹介が嫌いです。できることならしたくありません。
そう言ったとて、社会で生きていくにはせざるを得ない場面に出くわすことでしょう。できないでは済まされません。
ならどうすればよいか。
無難にやり過ごせばいいのです。
いわゆる処世術というやつです。
そこまで大事に捉えることなく、名前と出身、好きな食べ物ひとつ程度の当たり障りのないことを言ってをけばよいのです。
印象に残るようななにかを言う必要などないのです。
名前と顔さえわかればそれでいいのです。
そんな心づもりで、自分の好きなものをひとつふたつほど把握しておくというもの悪くないかも知れません。
自己分析の結果を文章に起こしてみるというのもいいと思います。
頭の中のなんだかよくわからないモヤモヤを言語化できると、スッキリすることもあります。
私のようにブログを始めてみるというのもひとつの手かも知れないですね。
自己表現の場を作り、自己理解度を高めるという試みです。
そんなわけで、自分嫌いは自己紹介が嫌い、という話でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメント